豊岡鞄について

千年の伝統を持つ鞄の産地「豊岡」の鞄
豊岡は、千年の伝統をもつ豊岡鞄の産地です。
「鞄の街 豊岡」は、奈良時代から始まる柳細工を起源とし、江戸時代に柳行李生産の隆盛をむかえ、大正以降はその伝統技術と流通経路を基盤に、新素材への挑戦とミシン縫製技術の導入によりカバンの生産地となりました。
豊岡鞄の歴史
712年の「古事記」に新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、柳細工の技術が伝えられたと書かれています。奈良時代には豊岡でつくられた「柳筥(やなぎかご)」は正倉院に上納されています。
江戸時代には豊岡藩の独占取扱品として、柳こうりの生産が盛んになりました。
1936年に開催されたベルリンオリンピックの選手団のかばんとして、豊岡のファイバー範が採用されるなど、この頃には、「ファイバー抱」が、豊岡の鞄の主流を占めるようになりました。
1953年には従来のスーツケースの胴枠を改造し、外型崩れ防止にピアノ線を使用した鞄が生まれました。軽くて強靭であることなど、これまでの欠陥を補っていたので他商品を圧倒しました。
そして岩戸景気を背景に、豊岡には300を越える物関連企業が生まれました。
現在は鞄の生産日本一の産地となっています。
「豊岡鞄」のロゴマークは、江戸時代に豊岡鞄を治め、カバンのルーツとなる杞柳(きりゅう・やなぎごうりの事)産業を奨励発展させた但馬豊岡藩主・京極家の家紋「四つ目結(通称四菱)」から一つの「菱」をとり、カバンの持ち手をつけたデザインとなっています。
厳しい基準を守る製品
兵庫県鞄工業組合と各企業、そして地域の共有財産「豊岡鞄」の価値を高めるため、厳しい基準を設けています。
豊岡鞄の製造企業は、ブランドコンセプトを守るというマニフェストに署名・捺印して企業として宣誓しています。
そのうえで、豊岡鞄認定審査を受けて合格した商品だけが「豊岡鞄」名乗ることができます。
